正法眼蔵・仏性11
毎週日曜に開かれている流転会の勉強会、正法眼蔵・仏性の第11回のレジュメです。前回は中務さんの担当で、今回は火童の担当です。
同じ場所を火童の読み方で読みます。語句の解釈は全く違うけれど、中務さんの理解とさほど違わないはずだと思っています。
反省
- 難しい
- 道元禅師のせい
- 哲学に足を取られた?
- 個人的には大好きだけど
- そもそも仏性の理解をしやすくするために導入したはず
- 実践にどう役立つのか見えてこない
- 道元禅師のラブレターとして読めているだろうか?
今回の目標
- KISS principle: Keep It Simple Stupid.
- できるだけ易しくしたいってことです
- 問い「自分とは何か」を軸に考える
- 仏道をならうといふは、自己をならうなり。
- How do you express emptiness when you are on the toilet?
- 実践に引き付けて考えたい
- 問いは「どのように生きる(修行する)のか」
- 「一切衆生、悉有佛性、如來常住、無有變易」との対応とは?
復習
これまでの永井哲学的理解
- 〈私〉
- 全ての全て
- 比較できる対象がない
- ホワイトボードそのもの
- 仏性
- 「私」
- 70億人の中の1人
- 他の人と比較できる
- ホワイトボード上の文字
- 悉有の中の一つ
これまでのナニコレ論
- これ性 = 是、個別的、臨場性、唯一性、一回性
- なに性 = 何、本質、普遍的、概念、表現
問答
祖、師を見るに、是れ小兒なりと雖も、骨相奇秀、常の童に異なり。
見問曰、汝何姓。(汝何なる姓ぞ。)
師答曰、姓即有、不是常姓。(姓即はち有り、是れ常の姓にあらず。)
曰、是何姓。(是れ何なる姓ぞ。)
師答曰、是佛性。(是れ佛性。)
曰、汝無佛性。(汝に佛性無し。)
師答曰、佛性空故、所以言無。(佛性空なる故に、所以に無と言ふ。)
キーワード
- 何、是、姓:この3つが主なキーワード
- 汝:最終的な探求対象
- 有、無、空
- 何姓、仏性、常姓
原文
しかあればすなはち、祖師の道取を参究するに、「四祖いはく、汝何姓」は、その宗旨あり。
むかしは何国人の人あり、何姓の姓あり。なんぢは何姓と為説するなり。たとへば、吾亦如是、汝亦如是と、道取するがごとし。
- 「汝何姓」が key point らしい
- なんの key point?
- 「自分とは何か」に対し、「汝は何であり姓である」と答えたのではないか
- 自分であるところの何とは?姓とは?
- なぜ是ではないのか?
五祖いはく、「姓即有、不是常姓」。いはゆるは、有即姓は常姓にあらず、常姓は即有に不是なり。
- 姓には2種類ある。
- 有即姓: 有に即している
- 常姓: 即有に不是
- 有に即していない
- 常姓の即有は是ではない
「四祖いはく是何姓」は、「何」は「是」なり、「是」を「何」しきたれり。これ「姓」なり。「何」ならしむるは「是」のゆゑなり。「是」ならしむるは「何」の能なり。姓は是也
、何也。
これを蒿湯にも点ず、茶湯にも点ず、家常の茶飯ともするなり。
ここからは、まず「有即姓」の方の説明だと思います。
- 何は是である。
- 名前が違うのだからイコールではなく、表裏一体のようなものか
- 是を何するのが、姓
- 「何」しきたれる、「何」の能 → 何は動詞。はたらき、行為ではないか
- 是が是として現れるのは何のはたらき。
- 何が何としてはたらくことができるのは是があるから。
- 中務さんは「何⇔是の往還運動」と表現
- これが「姓」ということだろう
- そして「姓」は「汝」
- 家常の茶飯ともする
- 日常の生活で行っていく
- 今ここの茶飯に出会っていく
五祖いはく、「是仏性」。
いはくの宗旨は、是は仏性なりとなり。何のゆゑに仏なるなり。是は何姓のみに究取しき
たらんや、是すでに不是のとき仏姓なるなり。
- 是は仏性
- (仏性は)何のはたらきで仏となる
- 修行をするから仏。
- 料理をするからシェフ。
- 何を修と読めば、是は証、修証一等を表すことになる
- 是は何であり姓であるとだけ言うことはできない
- 不是のとき(おそらく何がはたらく前)から是は仏性
- 仏性自体は何のおかげで仏性になるのではなく、是が固有に持つもの
- 「仏のかたより行われて」のようなことを表すのだろうか
しかあればすなはち是は何なり、仏なりといへども、脱落しきたり、透脱しきたるに、かならず姓なり。その姓すなわち周なり。しかあれども、父にうけず祖にうけず、母氏に相似
ならず、傍観に斉肩ならんや。
- 脱落しきたり、透脱しきたるに、かならず姓なり。
- 是が何としてはたらき、何によって是が現れる、このことの本体は往還運動、姓。
- 修証一等の要は姓である汝。
- 仏道の要機を保任す
しかあれども
「姓」のもう一つの側面がここから述べられます。
つまり、ここからが「常姓」の話だと思います。
が、「姓」の文字が出てくるのはここで終わり。\
- 姓すなわち周なり。
- 姓=汝はすべてに行き渡っている
- 70億分の70億の自己
- 傍観に斉肩ならんや。
- 比類のない〈私〉
四祖いはく、「汝無仏性」。
いはゆる道取は、汝はたれにあらず、汝に一任すれども無仏性なりと開演するなり。しる
べし、学すべし。いまはいかなる時節にして無仏性なるぞ。仏頭にして無仏性なるか、仏向
上にして無仏性なるか。七通を逼塞することなかれ、八達を摸索することなかれ。無仏性は
一時の三昧なりと修習することもあり。仏性成仏のとき無仏性なるか、仏性発心のとき無仏
性なるかと問取すべし、道取すべし。露柱をしても問取せしむべし、露柱にも問取すべし、
仏性をしても問取せしむべし。
- 汝無仏性
- 汝も二つ。何であり姓である汝と、無仏性の汝がある
- 何であり姓である汝は、即有の姓。
- 無仏性は、常姓のことだと思う。
- 無仏性は「仏性が無い」という意味ではない
- いまはいかなる時節にして無仏性なるぞ。
- 〈今〉
- すでに時節至れり
- 仏性成仏のとき無仏性なるか(何)
- 資料より: 仏道修行においてナニ性をコレ性に変換させることを「成仏」と言う
- 逆?
- 仏性発心のとき無仏性なるか(では、これは是?)
- 発心、修行、菩提、涅槃
- 即有の姓と無仏性の関係を感じさせるが、ここでは問えというのみ
しかあればすなはち、無仏性の道、はるかに四祖の祖室よりきこゆるものなり。黄梅に見
聞し、趙州に流通し、大潙に挙揚す。無仏性の道、かならず精進すべし、趑趄(しそ)することなかれ。無仏性たどりぬべしといへども、何なる標準あり、汝なる時節あり、是なる投機あり、周なる同生あり、直趣なり。
- 何なる標準あり
- 標準は標傍、道しるべと読んでみる
- いつもの実践が道しるべ
- 汝なる時節あり
- 比類のない〈私〉 = 永遠の〈今〉
- 是なる投機あり
- 投機
- 師匠と弟子が心機投合すること
- 是とは出会いである、とは言えないか
- 投機
- 周なる同生あり
- ただ今もあらゆるものと出会っている
- 直趣なり。
- これらがそのまま仏法である
五祖いはく、「仏性空故、所以言無」。
あきらかに道取す、空は無にあらず。仏性空を道取するに、半斤といはず、八両といはず、
無と言取するなり。空なるゆゑに空といはず、無なるゆゑに無といはず、仏性空なるゆゑに
無といふ。
しかあれば、無の片々は空を道取する標傍なり、空は無を道取する力量なり。いはゆるの
空は、色即是空の空にあらず。色即是空といふは、色を強為して空とするにあらず、空をわ
かちて色を作家せるにあらず。空是空の空なるべし。空是空の空といふは、空裏一片石なり。
しかあればすなはち、仏性無と仏性空と仏性有と、四祖五祖、問取道取。
- 仏性は空である。
- 仏性 = 空性 と考える。
- 仏性が空であるという意味ではない。
- 是は仏性だから、つまり、是は空である。
- 即有の世界での話に思える
- 仏性 = 空性 と考える。
- 無とは
- 空と無は違う。
- 空是空:空は是の空なり
- 無仏性においては、全てはあるが個物(是)に分かれていない
- 無を知るにはどうするか
- 無の片々は空を道取する標傍なり
- 是、何、姓を通して空を知る
- 空は無を道取する力量なり
- 空を通して無を知る
- 無の片々は空を道取する標傍なり
まとめ
姓は二つあった。
汝にも二つがある。
-
「汝」
- コレは先験的、出会い、いただきもの
- 出会うところ全てではなく、一つ一つを指す
- ナニは意志的、行為
- ナニとコレは一体の働きであり、このことを姓という
- 姓とは汝のことであり、汝が何と是を繋ぐ「かなめ」である
- 修証一等
- コレは先験的、出会い、いただきもの
-
〈汝〉
- 汝は全てである
- 全てを含んだ無である
- 永井哲学の〈私〉〈今〉
-
2つの汝の繋がり
- 見よ、見よ、問え、問えと道元禅師はいう
- 丙丁童子来求火
-
一切衆生、悉有佛性、如來常住、無有變易
- みんなで考えたいです
汝は何なり、姓なり。
有は姓に則す、常性は不是なり。
是と何と姓なり。
是は是の佛性なり。
汝無なれば、無佛性なり。
佛性は空なり、(無佛性は空ならず)、故に無と言ふ。
超適当な図をかきました。